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消えていくそれと、蘇るそれと

美味い、という言葉を。
主君の口から、終ぞ聞いた事はなかった。

「美味いな」

だからこそ、その言葉を聞いた時。
手に取る茶碗を滑り落とし、音もなく勝手に流れ落ちた涙の熱さを。
今も、覚えている。



『五感が失われていくだろう』
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
それらが消えていくという、主の病態。
聞いてから一週間、主はそれまでと変わらず暮らしていた。
だから心のどこかで安心していた。
「食事が美味いに、越した事はなかろう」
けちは付けても決して褒めようとはしなかった主が、今、そう言う。
改心と、そう信じれば、良かった。


貴方は、いつもそうやって、人を裏切る。










「若様、今日は失敗してしまったんですよ」
貴方はいつも、そうやって人を見透かしたように。
「辛くて、塩味が強すぎて、とても食べられる代物にならなかったんです」
惚けた顔で、曖昧を壊し、照らす。
「そんなに風変わりな味覚をしているとは、思っていませんでしたよ」
私の最期の企ても、そうやって壊して。


「嗚呼…」
気まずそうな主の顔。
いつも、失敗した時は目を逸らして言い訳を考える。
「不味かった、のか」
人の顔色を窺いながら、言葉を紡いでいく。
きっと、貴方はこう言うのだろう。


「すまない」「すまない」


ね。
「何時から、でしたか?」
「…四日前の、昼からだ。全ての味が消えた」
「いつも不機嫌そうだから、気付きませんでした」
「まあ、今更だからな」



「美味かったよ」
「はい?」
「お前の飯は、飽きる程に、いつも美味かった」
「…。今更ですよ」
「そうだな」



今更だ。
今更過ぎる。
頬が熱い。
嗚呼、どうして今、涙が。
「他に、感覚が失せれば、直ぐ、にでもお伝え下さいね」
何も見えない。
全てにもやが掛かっている。
「分かった」
主の声が聞こえ、何かが頭に触れた。
遠い遠い記憶の底に眠る、手の暖かさだった。

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2010.01.16 | | Comments(0) | Trackback(0) | Last Memory

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